大毘古命(おおびこのみこと)

『古事記』に記載のある男性皇族。

父は第8代孝元天皇、母はその皇后であるウツシコメ

同母弟にスクナヒコタケイゴコロ、第9代開化天皇がいる。

子のタケヌナカワワケは、阿倍の臣らの祖。

子のヒコイナコジワケは、膳の臣の祖。

娘のミマキヒメは、第10代崇神天皇の皇后。

崇神天皇に命じられ、越の国に派遣されるが、その途中、山城の幣羅坂に謎の女が奇妙な歌を歌っていたので、念のため都に戻って崇神天皇に報告。崇神天皇はその歌の内容を聞いて、「タケハニヤス(第8代孝元天皇の皇子)の反乱だろう」と看破、この反乱の討伐を命じられる。

オオビコがヒコクニブクを伴い軍を引き連れて山城国に行くと、タケハニヤスは迎え撃つ準備万端で待ち構えている。両軍、川の両岸に布陣。

そこでヒコクニブクは敵陣に呼びかける。「やーい、戦を始める第一矢を放ってみろよ~」。それに応えてタケハニヤスはひょいと矢を射かけるが、ヒコクニブクには当たらず。次にヒコクニブクが矢を射かけると、見事、タケハニヤスに命中、死亡。

反乱軍は総大将が死亡して大混乱、敗走する。オオビコは賊軍を追いかけ、焦った賊軍には恐怖のあまり糞を漏らす兵士が多数発生。

オオビコは追って追って追いまくり、追いつけば賊軍兵士を切り捨てる。死体が川に浮いた様子が鵜のようだったので、その川は鵜川と呼ばれ、現在の淀川。

さらに追って、斬って斬って斬りまくったので、その場所の名が“ほふりその”、屠園。今では祝園(ほうその)。

乱を鎮圧すると、オオビコは崇神天皇に報告に戻り、その後当初の命令通り、越の国に向かう。東方の平定に当たったわが子・タケヌナカワワケと合流した地点が、相津(あいづ)、今の福島県の会津。

各地方を安定させて、都に戻り、崇神天皇に報告した。

『古事記』に陵墓の記載はないが、伊賀国一宮である敢國神社(御祭神:オオビコ)にほど近い、御墓山古墳がその墓ではないかとの伝承が残されている。 

【主な登場場面】
実子に後妻寝取られ反逆される故・神武天皇 直系が奮起して乱を平定
四道将軍を派遣しようとして反乱に気付いた崇神天皇「伯父さん、討伐してちょ」

【関連記事】
北陸方面討伐軍総司令オオビコと、今回の延伸ルートの奇妙な符号【北陸新幹線と古事記】
『倭姫命世記』(8) - ヤマトヒメ伊勢国入り 大若子命と出会い、「阿野国」まで
元伊勢「奈其波志忍山宮」(なごわしのあしのやまのみや) - 伊勢国、元伊勢の第十七
金錯銘鉄剣(複製品) - 雄略天皇と、オオビコの名が記された、かも?の鉄剣

オオビコの実在示した?国宝「金錯銘鉄剣」など埼玉古墳群と博物館がGoogleプロジェクト
伊居太神社(尼崎市) - 伊居太古墳、もとは坂合部連が祖神を奉斎、10月にふとん太鼓
春日神社(鯖江市鳥井町) - 崇神朝の創祀、もとは「御板」、江戸初期本殿が重文
三宅神社(長岡市妙見町) - 平安初期に三明山に降臨、後に三つに分かれたうちの一つ

【オオビコを祀る神社】
古四王神社 - 四道将軍オオビコがタケミカヅチを勧請して創建、坂上田村麻呂ゆかり
敢國神社 - 四道将軍の一人オオビコとスクナビコナらを祀る、伊賀忍者ゆかりの一宮
彌彦神社 - 御祭神はニギハヤヒの子、異説も 武人から崇敬される越後国一宮
忍山神社 - 三重県亀山市、サルタヒコ祀る元伊勢「奈其波志忍山宮」の伝承地
相鹿上神社 - 三重県多気町、中臣氏同属の大鹿氏ゆかり、元伊勢「伊蘓宮」伝承地

伊佐須美神社 - オオビコとその子が合流した“会津”以来の鎮座となる陸奥国二宮
高屋安倍神社 - 若櫻神社の本殿西側に鎮座する、阿部氏の祖オオビコを祀る名神大社
備後護国神社 - 福山城北側の天神山に鎮座、近代教育の祖・阿部正弘を祀る旧阿部神社
引田部神社 - 最高峰金北山を神体山とする佐渡国三宮、御祭神には諸説あるも大彦命か
飛騨総社 - 平安期の創建、5月の例祭では曲芸のような親子獅子舞が奉納される、岐阜高山

大津神社(飛騨市) - 近世まで諏訪大明神と呼ばれた飛騨国式内八社の一つ、4月に神岡祭
古町神明宮 - 船江神社を合祀して船江大神宮と称された「北陸道の人々の崇敬すべき神社」
沙沙貴神社 - 全国佐々木さんの守護神、10月に近江源氏祭、4月は沙沙貴まつりの大松明
鵜坂神社 - 四道将軍大彦命の創祀、女性の尻を打つ神事が伝わっていた縁結び・安産の神
龍宮神社(小樽市) - 明治初期、榎本武揚が桓武天皇を奉斎、6月に小樽三大祭りの例祭

布勢神社(さぬき市) - 奈良朝の創建か、布勢朝臣の祖・大彦命を祀る讃岐国の式内社
佐々伎神社 - 崇神朝から平安期の創祀諸説、悲恋「なんじゃもんじゃの木」
五十君神社 - 当地で薨去した垂仁皇子を奉斎、上杉謙信・景勝や歴代領主の崇敬
菟上神社(いなべ市) - 創祀・由緒は不詳、宇賀神社とも妙見宮とも呼ばれた式内論社
舟津神社 - 大山御板神社の神に助けられた大彦命を勅祭、江戸期の本殿と鳥居

道神社(射水市) - 祭神一族の古墳上に鎮座、38ヶ村の総社、樹齢800年の椎の大木
道神社(高岡市) - 四道将軍の大彦命の善政を敬い、郷土の人々が祠を建て奉斎
佐々神社 - もとは笹ヶ岳に鎮座、桃山期に現在地に遷座、授乳に霊験あり
足坏神社 - もとは白鬚明神社、江戸期に式内比定「あしつき」葦付天神・足都機
布勢神社(赤磐市) - 垂仁朝に神威あって山麓に遷座、古くは仁堀庄10ヶ村の大社

御霊神社(三木市) - 室町中期の重文本殿、10月「ホーヤホー踊り」、夜なき石
布制神社(篠ノ井石川) - 川柳将軍塚古墳の南、布勢氏、かつて奈良前期の棟札
布制神社(篠ノ井布施五明) - 大彦命が鎮撫の拠点とし薨じた地、後裔布勢氏の善政
布制神社(篠ノ井山布施) - 奈良期に越中射水から布施氏の祖と伊勢を勧請した古社
布勢神社(氷見市) - 大伴家持が愛し、『万葉集』に多く詠まれた「布勢の円山」

小布勢神社(三条市) - 源義家が八幡勧請、エノキのタブー、例祭で三条神楽奉納
阿比多神社 - 飛鳥朝に幣帛、源頼義が祈願、順徳上皇が参拝、7月上旬に神輿渡御
川俣神社(亀山市) - 大比古命の味酒伝承、2月に平安期以来の神事、川俣社の祖か
川俣神社(鈴鹿市庄野町) - 鈴鹿川が二分した地、近世は貴船社、庄野宿のスダジイ
川俣神社(鈴鹿市中冨田町) - 立地条件は式内に最もふさわしい、古くは八王子