阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかねひこのかみ)

『古事記』に記載のある男神。

「今でいう迦毛大御神」という記載があり、「かものおおみかみ」、つまり鴨=賀茂氏の祖となる。その関係で、賀茂別雷神社(京都府京都市)などの御祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)と同一視される場合がある。

阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神などとも。オオクニヌシタキリビメの子。同母妹にシタテルがいる。

葦原中国平定、つまり国譲りのために高天原から派遣されてきた二柱目の神であるアメノワカヒコが、妹のシタテルに一目惚れし、結婚。義弟となったアメノワカヒコとは親友付き合いになる。

しかしアメノワカヒコは高天原を裏切ったために、高天原に暗殺される。その死を悲しんだシタテルや、シタテルの嘆き悲しむさまを漏れ聞いた高天原のアメノワカヒコの遺族が、アメノワカヒコの葬式を開いた。

そこに参加しようとやってきたアヂスキタカヒコネを見て、アメノワカヒコの高天原の遺族たちが、「アメノワカヒコは死んではいない、ここにいるじゃないか」とアヂスキタカヒコネのところに群がってきた。

二人は瓜二つだった、ということ。

これに激怒したのがアヂスキタカヒコネ。「親友の葬式だから来てみれば、汚らわしい死者と間違うんじゃねーよ」ということで、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばして去っていった。

この去って行く様とアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を妹で未亡人となったシタテルが歌っており、この歌が夷振(ひなぶり)と呼ばれ、シタテルは和歌の祖の一人となった。

「大御神」の神名を持つのは、アマテラスイザナギ以外にいない。どうしてこの神がそれほどまでに特別視されたのか。

『古事記』に記載はないが、アメノワカヒコの葬儀が高天原で行われたとする別伝があり、それに参加しているとも。そうなれば、天津神以外ではほとんど唯一、高天原に行ったことのある国津神とも言えるかもしれない。

賀茂氏の祖であることは間違いないと思われるが、謎の多い神。

【主な登場場面】
実に全国180人(柱)、古代日本最強の子だくさん・オオクニヌシ
夫を暗殺されたオオクニヌシ娘の悲嘆、悲しい葬式のはずがハチャメチャに

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【アヂスキタカヒコネを祀る神社】
高鴨神社 - アヂスキタカヒコネの本源、京都賀茂の元宮の可能性がある式内名神大社
土佐神社 - アヂスキタカヒコネとヒトコトヌシの異母兄弟を祀る古社、土佐国一宮
葛城一言主神社 - 一言の願いを聞き届けてくれるヒトコトヌシと雄略天皇を祀る
石都々古和気神社 - 石清水八幡宮からの勧請、アヂスキタカヒコネ祀る陸奥国一宮
都都古別神社(八槻) - 八幡太郎・源義家ゆかり、アヂスキタカヒコネ祀る陸奥国一宮

都都古和氣神社(馬場) - 坂上田村麻呂ゆかり、アヂスキタカヒコネ祀る陸奥国一宮
倭文神社 - 主祭神は建葉槌命だが、シタテル伝承やご神徳を色濃く残す伯耆国一宮
二荒山神社(日光市) - 日光三山を神体山とするオオクニヌシファミリーを祀る古社
阿遅速雄神社 - 668年の盗難事件で草薙の剣を取り返した熱田神宮ゆかりの古社
鹿苑神社 - 往時は一宮・小國神社と併称された、社領300石という大規模な遠江国二宮

仁壁神社 - 江戸中期社殿が平成の放火で焼失も再建、どんど焼きでも知られる周防国三宮
比売許曽神社(東成区) - 江戸期までは牛頭天王社とされた、近世比定の式内名神大社
総社神社(秋田市) - 奈良時代初期に神光飛来で創建、出羽国総社とも、藤原清衡の再興
荏名神社 - 稲置の森の子安大明神、安産の神として信仰された、日子坐王妃との関連も
波波伎神社 - 国譲り後の事代主命の荒魂が鎮まった宮、伯耆の総氏神、裏手には福庭古墳

鴻八幡宮 - 甲山に鎮座する、鴻と大蛇が死闘を繰り広げた「鴻の宮」、南北朝期の木製狛犬
石部神社(豊岡市) - 「おいそべさん」樹齢1000年の大ケヤキ、10月にだんじり喧嘩祭り
田名部神社 - 8月の北のみやび「田名部まつり」、交易で栄えた青森下北半島の総鎮守
高森神社 - 大和国葛城ゆかりの人々が往古に伊勢原に移住して祖神を奉斎、相模式内論社
大須伎神社 - 愛媛今治、近世には村内の一末社、明治期に熊野と八幡を合祀した式内社

五穀神社 - 江戸中期の一揆騒動で農民に理解示し、罪を得た久留米藩の旧重臣を奉斎
阿須伎神社 - 『延喜式神名帳』に11社、『出雲国風土記』に39社記載された大社
阿利神社 - 風土記記載・式内の比売神を合祀した式内社、頼朝の八幡政策で衰微
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本宮神社(日光市) - 神橋のすぐそばの日光三社の一つ、世界遺産、「日光の原点」
鴨習太神社 - 明治までは天満宮、物部の信仰域か? 社名尊重で賀茂氏か?
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玉津岡神社 - 下照比売命が降臨、橘諸兄が遷座、江戸前期の本殿、小町の墓と蛙
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殖田神社 - 土佐神社と同様、当地を支配した賀茂氏の関連社、10月に子ども神輿
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松尾八王子神社 - 西ノ宮、10月例祭で屋台曳き回し、境内でも行事、式内論社とも
高彦根神社(長岡市) - 頼朝から神領3000貫の寄進、御館の乱で衰微、生贄の風習
荻原神社(大台町) - 式内・榎村神社の八柱神社、旧満蒙開拓団の双龍神社を合祀

【主な御神徳(ご利益)】
農業・不動産、家内安全平安安寧