大国主命の正妻・須勢理毘売命、終焉の地、虫・マムシ除けの神
[住所]鳥取県西伯郡大山町唐王725
[電話]0859-53-4060

唐王神社(とうのうじんじゃ)は、鳥取県西伯郡大山町唐王にある神社。近代社格では無格社。現在は壹宮神社の兼務社である。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。『古事記』に大国主命の正妻とある、須佐能袁命の娘の須勢理毘売命、その終焉の地として知られる。いわゆる神陵である。

『古事記』にあるように、須勢理毘売命は、須佐能袁命による大国主命へのイビリ、今から見ても陰湿を極めた攻撃を防ぐために協力した。

その故事に従い、当社は毒虫よけ、マムシよけの神として崇められ、玉垣内の砂をいただいて、田畑にまけば毒虫が去り、家屋敷にまけば蟻や百足が退散すると言われている。

当社は古来、唐王御前神社と称した。須勢理毘売命が唐王御前と呼ばれたことによる。なぜ、唐王御前なのか。

昔、海の向うの地をすべて加羅と呼んだことから、須勢理毘売命が夜見国(根の国)から帰ってきたのを唐土(カラノクニ)からやって来きたとして、このように呼んだ、という。

須勢理毘売命は大国主命の正妻ではあるが、大国主命が住んだとされる出雲大社から当地まで、80キロもの距離がある。今でも相当の距離、昔ならなおさら。

これは、『古事記』にはないが、国譲りに際して、大国主命が現在の出雲大社を用意してもらうと同時に、天津神である高皇産霊神の娘、三穂津姫を娶ったことによる、と考えられている。

つまり、国津神の権現たる須佐能袁命と大国主命、その娘で、妻である須勢理毘売命は、国を譲り受けた天津神にとっては相当な邪魔者だったようで、須勢理毘売命は当地に追放され、隠棲したようだ。

これだけでも、国譲りがいかに大きな政争、政略の中で行われた出来事だったことが分かる。

地元では、大国主命が三穂津姫を娶るにあたり、大国主命と須勢理毘売命が2人で当地を事前に視察して、須勢理毘売命の坐す地を定めたとも伝わっている。

政争・政略の中で引き裂かれたおしどり夫婦の哀愁漂う後姿が想像できる。また、愛妻の住やすい地をしっかり確認しようという夫の愛も伝わる。

以降の由緒はあまり伝わっていない。現在までに、学問の神として、菅原道真も祀っている。例祭は4月25日。

虫よけ大祭が旧暦8月3日に行われる。早朝から参拝者で賑わい、特に地方の名産である干瓢市が立ち、見る間に数百貫の干瓢が売り切れるという。

また、当日は奉納演芸や、名物「どじょう汁」の売店も出るという。

【ご利益】
虫よけ、五穀豊穣、病気平癒、学業・受験合格(公式HP
唐王神社 鳥取県西伯郡大山町唐王
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