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古事記を彩る姫たちエントリーNO.21 軽大郎女(かるのおおいらつめ=カルノ)

仁徳天皇の第四皇子で、仁徳と皇后・石之日売命(いわのひめのみこと=イワノ)の間の子・允恭天皇の皇女。

同母兄の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ=カルミコ)と、禁断の近親相姦。皇太子だったカルミコは廃太子となり、伊予(現 愛媛県)に流されます。

允恭天皇は古事記において、病弱な側面が描かれてはいますが、皇后との子は、カルミコやカルノを含め、男女合わせて九人の子だくさん。その中には後の安康天皇雄略天皇がいます。二人ともとっても特徴的な天皇ですが、では、この兄弟たちって一体。。

この姫、何がスゴイって、古事記の中で唯一、衣通郎女(そとおしのいらつこ)という美称を付与された、日本古代最高の美女。その美しさが衣から透け出る、というのは日本的な素晴らしい形容詞ですね。

軽大郎女(かるのおおいらつめ=カルノ)縦500px 古事記では衣通郎女はカルノちゃんですが、日本書紀では違います。カルノちゃんの母親(允恭天皇の皇后)の妹、つまりカルノちゃんの叔母の、弟姫(おとひめ)とされています。まあ、どちらにしろ、美女の家系ということで。

さて、その衣通郎女。皇太子カルミコがその美しさにイカレてしまいます。異母妹なら全く問題にはなりませんが、同母妹との合体は絶対のタブー。しかししかし、それでも同母妹なのに手を出さざるを得ないほどの美しさ。

はたまた、沙本毘売命(さおびめ=サオ)の時も指摘しましたが、当時の結婚は、非常に近しい親族間で行われるのが普通で、外部に対象が開かれることが稀。そのために、選択肢が狭まり、近しい美しい姫に目を奪われたらそれが同母妹だった、ということかもしれません。

ともかく、このカルミコが少し天然です。

カルノと初めて結ばれた時、喜び爆発。「あんなに楽しくエッチできたのだから~、心も世も、乱れるなら乱れてしまえ~」と歌います。まあ、これはそれほど嬉しかったのでしょうし、エッチもよかったのでしょう。廃太子も覚悟の上、とも読み取れます。それほど意気込むこと自体、素晴らしい愛。

しかし、おそらくカルミコを皇太子の座から引きずり降ろし、あわよくば自分が皇位につこうと考えていたカルミコの弟・穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)がカルミコとカルノの禁断の情事を理由にカルミコを討伐しますが、その後に「カルノよ~、そんなに悲しまないで~、二人の仲がばれちゃうよ」などと歌っています。

二人の仲がバレたから、討伐を受けているの。。

一方で、カルミコが伊予に流される際、カルノや周りに、浮気するなよ、手出すなよと念を押すことも忘れない、しっかり者?

ともかく、カルミコが伊予に流される間際に、カルノは実質的な登場です。それまでは地の文での登場しかなく、カルミコの歌でストーリーが展開していましたから。

古事記にはカルノの歌は二首しか残っていません。古事記にはその他のセリフも特にないので、実質、この二首からカルノの実像に迫るしかありません。

そのうちの一首はカルミコが伊予に旅立つ際のもの。怪我をしないように気を付けてください、というものですが、読めば、他のオンナに気を取られるなよ、と浮気を釘指しているようにも読める歌。結構気が強そうです。

もう一首は、やっぱり我慢ならず、カルミコを追い駆けて、自分も伊予に旅立った時の歌。「もうどうにも待っていられない~」などと、やはり激情を覗かせています。

衣通郎女、あるいは衣通姫というからには、おしとやかで、清楚、深窓の令嬢をイメージしがちですが、当時、辺境の伊予に都から下るというのは大変な冒険であり、行動力溢れる、溌剌とした、自身の愛を貫き通す自我の強い姫だったのかもしれません。

伊予で再会した二人。カルミコはそこで二つの歌(1 | 2)を歌いますが、喜びが全くないわけではないものの、悲壮感が漂うものとなっています。再会を喜び、愛を確かめ合い、愛し合ったりしたのでしょうが、物語は佳境に進み、二人が心中する場面に突入するわけです。

今の感覚であれば、もう辺境で再会したんだから、周囲を気にせず、そのままひっそりと二人で愛し合って生きていけばいいのに、と思うかもしれませんが、歌の中に現れている通り、カルミコ、あるいはカルノの方も故郷の都を思う気持ちが強かったのでしょう、辺境に流された、あるいはもう二度と呼び戻されない絶望感もあったと思われます。

軽之神社古事記には明確にどこで心中したとは書かれていませんが、現在伝わっているのは、軽之神社(愛媛県松山市)です。ここでは、カルミコとカルノが祀られています。この一帯は姫原と言い、神社がある近くには姫池と呼ばれる池もあるなど、“姫”が強調された土地柄です。さすがに衣通姫、最期の地。ちなみに近くの小学校も姫山小学校。

軽之神社より奥の山裾に二人の塚と言われる比翼塚があります。比翼塚の隣には、カルミコの伊予に流される際の歌と、カルノの「もうどうにも待っていられない~」の歌の歌碑が建立されています。(参考:松山市立子規記念博物館

今でも語り継がれる古事記最高の悲恋叙事詩、また古代日本史含めて考えても最大級のラブロマンス・オペラ。そのヒロインが、カルノちゃんです。

※画像は、軽之神社(出典:愛媛県神社庁

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カルノ - 日本古代史上NO.1美女は積極的行動派
カルミコ - 禁断の近親相姦に走る日本最古の歌人