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古事記を彩る姫たちエントリーNO.15 宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえひめ=ヤカワエヒメ)

応神天皇の妃のひとり。応神天皇に「こういう女が是非欲しいと常々思っていた」と歌わしめたほどの美女で、寵愛されました。

応神天皇が滋賀へ行幸している時に、宇治の木幡村で、その美しさを天皇が見初めました。そこで名前を聞かれたヤカワエは、丸邇氏であると告げます。丸邇氏は大和が本拠なので、宇治にいたヤカワエの一族は分家なのかもしれません。

また、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシの系譜の中で出てくる八河江比売と同体、あるいは関係があるのではないかとも指摘されています。

宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえひめ=ヤカワエヒメ)縦500px 邂逅後、ヤカワエの名前を聞いた応神天皇は、翌日ヤカワエの家に赴きます。ヤカワエの父・比布礼能意富美(ひふれのおほみ)も感激し、ヤカワエは天皇に仕えることになります。

応神天皇を迎えたヤカワエの家で開かれた酒宴で、応神天皇が歌い、ヤカワエをべた褒めします。

その後ろ姿が小さな楯のようにすらりとしてたまらない~
歯並びも実に綺麗だね~

そのうえで、「こういう女が是非欲しいと常々思っていた」と歌わせます。

ヤカワエの古事記での登場は、実はここまで。つまり、古事記では応神天皇の問いかけに応じて名を名乗り、翌日の酒宴で応神天皇に盃を捧げた、という程度の登場です。

しかし、しかし、この姫、大変重要です。

まず、応神天皇皇太子である宇遅能和紀郎子(うじのわきのいらつこ=和紀郎子)を産みます。応神天皇には皇后がいて、その息子に後の仁徳天皇がいるにもかかわらず、です。

そもそも古事記におけるヤカワエの話、応神天皇が和紀郎子を皇太子に指名した際の、その母親を紹介するような形で登場してきます。

応神天皇縦480px応神天皇と仁徳天皇の関係は微妙なところがあり、皇后の、しかも後の天皇になる子がいるにもかかわらず、別の妃の子を皇太子にしたのには別の思惑もあったかもしれませんが、少なくともヤカワエがいかに応神天皇に寵愛されていたかを物語ります。

応神天皇の死後、和紀郎子と仁徳天皇は皇位を譲り合います。幸か不幸か、和紀郎子が早くに亡くなったので、仁徳天皇が即位することになったわけです。

また、ヤカワエは、後にその仁徳天皇に寵愛され、史上では仁徳天皇の二番目の皇后になる八田若郎女(やたのわきいらつめ=ヤタノ)を産んでいます。このヤタノとの浮気で、仁徳天皇の当時の皇后・石之日売命(いわのひめのみこと=イワノ)が家出するという事件に発展します。

さらにさらに、ヤカワエは、これまた後に仁徳天皇が求愛することになる女鳥王(めどりのみこ=メドリ)の母でもあります。メドリは、恐妻家すぎる仁徳天皇を嫌い、ふたりの異母兄弟にあたる速総別王(はやぶさわけのみこ=ハヤブサ)と結婚、仁徳天皇に二人して反旗を翻すことになります。

193_1つまり、古事記後半の英雄の一人・仁徳天皇をめぐる問題、特に女性問題、そこから発生する諸々の事件の種を植えたのが、ヤカワエである、と言えます。

応神天皇にべた褒めされた絶世の美女であり、その後の展開に大きな影響を与えた子らを残したヤカワエ。現在では、矢川神社(滋賀県甲賀市)などに祀られています。ここではオオクニヌシとともに祀られているので、オオクニヌシとの関連性はやはり強いのかもしれません。

※画像は、矢川神社(滋賀県甲賀市)。(出典:滋賀県観光情報)

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【関連キャラ】
ヤカワエ - 日本で初めてスタイルを激賞された美女
応神天皇 - 自身の登場シーンがあまり多くない天皇
ヤタノ - 女好き仁徳天皇を待ち続ける温厚な姫
メドリ - 仁徳天皇を振った女、反逆して誅される