古事記に収録されている歌の数古事記には膨大な歌が収録されています。「日本が世界に誇る、古代ラブロマンス・オペラ」と副題している理由の一つです。読み進めていくと、オペラのように、歌で劇が進行していく、という感覚に陥ります。

もちろん、日本初の和歌(スサノヲ)から、古事記を代表する名歌(例:ヤマトタケルの思国歌など)まで多種多様ですが、その中で圧倒的に多いのが、恋の歌です。だから、「古代ラブロマンス・オペラ」となるわけです。

数え方にもよりますが、古事記に収録されている歌は全113首。そのうち、半分以上が恋の歌であり、巧みな比喩表現から、かなり露骨な「オマエが欲しい」「オマエと寝たい」など愛情表現豊かなものも多くあります。

時期別にみていくと、和歌の発生と展開、普及と合わせるように、時代が下るごとに多くなっています。天皇別で、在位が長かったり、エピソードが多かったりする場合、収録されている歌も多くなります。

例外として、允恭天皇の12首。事績はほとんど伝わっていませんが、この天皇の時代、古事記史上最大の悲哀「軽王と軽大郎女」による、同母兄妹の禁断の情事の逸話が含まれており、この逸話においてだけで、12首の歌が歌われているためです。

その他、ヤマトタケル、応神天皇、仁徳天皇、雄略天皇など、古事記中盤から終盤にかけて、いろいろな意味で活躍する天皇の巻で、収録されている歌が多くなっています。

以上などの理由で、時が下ることに収録されている歌が多くなるのはそれはそれで自然ですが、不自然なことが一点。高天原の天つ神には一首も歌がありません。降臨してからも、天つ神は歌と一定の距離を取っている傾向がみられます。

これだけオペラ的な物語において、主役たるべき天つ神に一つもないとなると、奇妙です。

和歌の祖はスサノヲです。「3.アマテラスとスサノヲ」の1首がそれです。スサノヲは国つ神とされます。

言わずと知れた、国つ神のドン・オオクニヌシは自身の歌こそ二首のみですが、その章においては、恋歌が多く収録されています。

5.葦原中国平定」に収録されているのは、オオクニヌシの娘の歌です。

古事記の古事記たる所以とも本来は言えるべき、ニニギの天孫降臨に関する周辺には和歌は一切ありません。

ようやく天つ神系の歌としてあらわれるのは、「7.海幸彦と山幸彦」における、山幸彦の恋歌です。

この「7.海幸彦と山幸彦」は天つ神を主力とするヤマトと、それこそ国つ神である隼人の抗争を描いているわけですから、その交流の中でようやく生まれてきた、という感じがするほどです。だから、

天つ神は歌が苦手?

なのかもしれません。

8.神武天皇」では12首が収録されていますが、神武天皇その人が詠んだ歌は極めて少なく、天孫降臨後に臣下になった国つ神と思われる大久米命の系列の歌が中心、この章の一つの節にはそのままの「久米歌」というものまであるので、ここでもやはり天つ神が歌の中心にはなっていません。

9.崇神天皇」の1首も、天皇や天つ神によるものではなく、謎の少女による反乱の動きを知らせるものとして登場するものです。どちらかといえば、やはり国つ神。

ようやく活性化するのが、「11.ヤマトタケル」の頃から。

ヤマトタケルは多くの歌を残しています。ただし、ヤマトタケルぐらいになってくると、それを一人の人物としてとらえるか、複数人を組み合わせた伝説かはさておき、建前上、天皇家は天つ神、とはいえ、混血もかなり進んでいるはずで、両者の融合とともに国つ神の影響力が上がってきていた、とすれば、やはり、天つ神系が歌をものにするには、国つ神の協力が必要だった、逆に言えば、

和歌は国つ神が作り発展させてきた

ということなのかもしれません。

天つ神というものにはそもそも外来要素が強く感じられます。一方の国つ神は日本固有の土着系。言霊の和歌を操り、それを武器として活用していたのが国つ神、ということで納得感はあります。

天つ神による討伐一方ではない、天つ神が国つ神の中に溶け込んできた、というのが、この古事記に収録された和歌の傾向から読み取れるかもしれません。

また、応神天皇編以降、収録和歌が急増するのも奇妙と言えば奇妙。「神」の次のついた応神天皇は、新王朝の始祖という捉え方をされていますが、古事記に収録されている和歌の断絶という側面からも、それがうかがえるところが大変興味深いところです。このあたり、いずれ深堀できれば。

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