常世の国10.垂仁天皇
10-4.常世の国に使者派遣


垂仁天皇は、三宅氏の祖先にあたる多遅麻毛理(たじまもり=タジマモリ)を常世の国に遣わして、時じくの香の木の実を求めさせました。

タジマモリはやっとのことで、その常世の国に着いて、その木の実を取って、葉のついているのを八本、葉の無いものを八本、持って帰ってきました。

垂仁天皇縦480pxしかし、都に帰ってみると垂仁天皇はお亡くなりになっていました。

そこでタジマモリは、持ってきたものの半分、葉のついているのを四本、葉の無いのを四本、皇后にさし上げ、残り半分、葉のついているのを四本、葉のついていないのを四本、天皇のお墓の入口において、その木の実を手に捧げて、曰く。

タジマモリ「常世の国の時じくの香の木の実を持って帰って来たのにっ!」

そうして泣き叫び、ついに亡くなりました。古事記上にあらわれる、日本初の殉死でしょうか。

しかし、垂仁天皇の時代、日本書紀によれば、殉死を禁止する措置(野見宿禰(のみのすくね)による埴輪の制)が発案されてもおります。

今から見ても先進的な取り組みですが、実情としては、当時の日本は極めて人口が少なく、優秀な人材の殉死は国家運営上、極めて重大な損失になっていたのでしょうね。

時じくの香の木の実とは「橘(たちばな)」のことのようです。

橘は葉が常緑であることから、すぐに散る桜とは対照的に「永遠性・永続性」の象徴と考えられていたようです。

ところで、常世の国とは、古事記にも今まで二度ほど出てきています。一つは、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)とともに国造りをした少名毘古那神(すくなびこなのかみ=スクナビコナ)が最後に逝ってしまった場所として。

もう一つは、神武天皇の兄にあたる御毛沼命(みけぬ)が逝ってしまったところ、として。この御毛沼命、ほとんど事績が伝わっていませんが、神武天皇のそもそもの名の若御毛沼命(わかみけぬ)と一文字ちがいのお方。

「一種の理想郷として観想され、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた、日本神話の他界観をあらわす代表的な概念」とのことで、あるいは沖縄、台湾、半島などを指しているとも言われています。(by Wikipedia

垂仁天皇の次に即位したのが、第十二代・景行天皇です。

いよいよ古事記のクライマックスの一つ、倭建命(やまとたけるのみこと=ヤマトタケル)の物語が始まります。

※画像は、「常世の国」Google画像検索結果のキャプチャー。

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【古事記の神・人辞典】
垂仁天皇
タジマモリ

景行天皇

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