崇神天皇9.崇神天皇
9-3.建波邇安王の反逆


さて、崇神天皇のお父さん・開化天皇の兄に、大毘古命(おおびこのみこと=オオビコ)がおり、崇神天皇はその伯父に北陸地方の平定を命じ、オオビコの子・建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)には東海地方の平定を命じました。

オオビコが北陸地方を目指している時、大和(現 奈良県)と山城(現 京都府)の坂にある平坂という所で、不思議な歌を歌っている少女に出会いました。その歌とは以下の通りです。

御真木入彦(みまきいりひこ)よ、
御真木入彦よ、
お前の命を密かに殺そうと、
後ろの戸からお前と行き違い、
前の都からお前と行き違い、
じっとお前の様子をうかがっている男が
いるのも知らないで、
ああ、呑気な御真木入彦よ

一旦は通り過ぎてしまったオオビコは不思議に思って馬を取って返し、その少女に問う。

オオビコ「お前はいったい何が言いたいの?」
謎の少女「分かりません。ただ口について出てくるだけです」

と言うと、少女はたちまち姿を消してしまいました。歌詞中“御真木入彦”は崇神天皇のことです。

念のため、オオビコは一旦都に戻って崇神天皇に子細を報告すると、

崇神天皇「それは山城国にいる、建波邇安王(たけはにやすのみこ=タケハニヤス)の謀反の知らせかな。オオビコ伯父さん、軍隊引き連れて、討伐してちょ」

オオビコが日子国夫玖命(ひこくにぶくのみこと=ヒコクニブク)を伴い軍隊引き連れて山城国に行くと、建波邇安王は迎え撃つ準備万端で待ち構えていました。両軍、川の両岸に布陣しています。

そこでヒコクニブクは敵陣に呼びかけます。「やーい、戦を始める第一矢を放ってみろよ~」。それに応えてタケハニヤスはひょいと矢を射かけますが、ヒコクニブクには当たりません。次にヒコクニブクが矢を射かけると、見事、タケハニヤスに命中、死亡しました。

反乱軍は総大将が死亡して大混乱、敗走します。オオビコは賊軍を追いかけ、焦った賊軍には恐怖のあまり糞を漏らす兵士が多数発生します。…この描写、必要?

もちろんそんなことで手を休めるオオビコではありません。追って追って追いまくり、追いつけば賊軍兵士を切り捨てていきます。死体が川に浮いた様子が鵜のようだったので、その川は鵜川と呼ばれます。後の淀川です。

さらに追って、斬って斬って斬りまくったので、その場所の名が“ほふりその”となりました。屠園ということでしょう。恐ろしい。。。それが今では祝園(ほうその)となっています。言霊による使用漢字の180度転換。

タケハニヤスの乱を鎮圧すると、オオビコは崇神天皇に報告に戻り、その後当初の命令通り、北陸地方平定に向かいます。東海地方の平定に当たったわが子・建沼河別命と合流した地点が、相津(あいづ)、今の福島県の会津です。古事記記述上、日本の北端更新です。

その後、この父子は各々が任された国を安定させ、その後、都に戻り、崇神天皇に報告しました。

こうして、天下は収まり、人民は富栄えました。ここで初めて、男には狩猟した獣の税を、女には手で紡いだ糸や織物の税を決めました。税の徴収ができるぐらい平和ということですね。

そのため、崇神天皇は初めて国を治めた御真木(みまき)の天皇と呼ばれます。

崇神天皇の跡を継いで即位したのが、垂仁天皇です。

※画像は、「崇神天皇」Google画像検索結果のキャプチャー。

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【古事記の神・人辞典】
崇神天皇
オオビコ
タケヌナカワワケ
ヒコイマス
クガミミノミカサ
タケハニヤス
ヒコクニブク
垂仁天皇

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