大年神4.オオクニヌシ
4-9.スサノヲの息子・大年神の神裔


とにかく、この後、古事記では建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと=スサノヲ)の息子である大年神(おおとしのかみ=オオトシノカミ)の系譜が説明されます。

大年神は、ヤマタノオロチ逸話の櫛名田比売(くしなだひめ=クシナダ)ではなく、スサノヲと、大山津見神(おおやまつみのかみ=オオヤマツミ)の娘である神大市比売(かむおおいちひめ=カムオオイチヒメ)の間の子です。

大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)縦500pxなぜ、大国主命(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)の国造りの直後に、スサノヲの息子の神の系譜なのか、つながりがいまいち分かりませんが、系列は違うものの、オオトシノカミとその系列も国造りに関わっており、その意味でスサノヲの子孫(つまり高天原(天つ神)を追放された国つ神)が、葦原の水穂の国(あしはらのみずほのくに=日本の国)の基盤を築き上げたことを象徴しているのでしょうか。

というにも、オオトシノカミ、ものすごく有名、というわけではないと思うのですが(『いなり、こんこん、恋いろは。』の方が有名?)、古事記のこの系譜に描かれている様子を窺えば、非常に子だくさんです。オオクニヌシの180柱にはかなわなくても、18柱の子供がいます。

色々な神様が生まれており、これらの神も国造りに関わった、ということが示唆されているのでしょうか。特に、父親のスサノヲがバッチイものを食べされたと怒ってぶっ殺してしまった大気都比売神(おおげつひめのかみ=オオゲツヒメ)がまた登場し、オオトシノカミの子ども18柱のうちの一人・羽山戸神(はやまとのかみ=ハヤマトノカミ)と結婚、つまり、オオトシノカミの孫にあたりますが、その二人の子どもとして8柱もあわせて記載されています。

スサノヲとオオゲツヒメのエピソードは五穀の起源とされていますし、ハヤマトノカミの間の子である8柱も穀物と関わる神様ばかり。また、オオゲツヒメはスサノヲとのエピソード以前にも古事記に顔を出していることから、穀物そのものの象徴であり、何らかの飛躍的な穀物増産(品種改良)などの大きな成果が表れると、オオゲツヒメを登場させることで、それを表現しているのかもしれません。

さらに重要と思われるのは、オオトシノカミの妻として最初に記載されている伊怒比売(いのひめ)との間に、後になっても含めて、百済系や新羅系の渡来人が信仰する神が生まれていることです。この当時の国造りにも大陸・半島の色がかなり濃いことを示すもののようです。

先にもツッコミましたが、オオクニヌシの国造りは、古事記本文を読むだけだと言われているほど内容がなく、イミフな部分も多いのですが、このような付随している系譜と合わせて理解すべきなのかもしれません。

でなければ、次の国譲りにおいてのそもそものきっかけ、天照大御神(あまてらすおおみかみ=アマテラス)による「葦原の水穂の国、1500年ほど栄えていい感じじゃ~ん」という発言につながりにくいですし。

※画像は、「大年神」Google画像検索結果のキャプチャー。 

【関連キャラ】
オオクニヌシ -  国つ神のドンは破天荒な女好き
オオヤマツミ - 天皇家を呪詛って寿命を与えた怒ると恐い神
オオゲツヒメ - 徳島県、スサノヲに惨殺される食の女神

【古事記の神・人辞典】
オオトシノカミ
オオゲツヒメ

オオトシノカミとイノヒメとの子
オオクニミタマノカミ
カラノカミ
ソフリノカミ
シラヒノカミ
ヒジリノカミ

オオトシノカミとカヨヒメとの子
オオカグヤマトミノカミ
ミトシノカミ

オオトシノカミとアメノチカルミヅヒメとの子
オキツヒコノカミ
オキツヒメ
オオヤマクヒノカミ
ニハツヒノカミ
アスハノカミ
ハヒキノカミ
カグヤマトミノカミ
ハヤマトノカミ
ニハタカツヒノカミ
オオツチノカミ

オオゲツヒメとハヤマトノカミとの子
ワカヤマクイノカミ
ワカトシノカミ
ワカサナメノカミ
ミヅマキノカミ
ナツタカノヒノカミ
アキビメノカミ
ククトシノカミ
ククキワカムロツナネノカミ

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